こんにちは。
今朝は27合炊いたごはんが完食で、ご満悦だった父と母。特に、お釜担当のかあちゃんは明日はもっとたくさん炊かないと、と張り切ってます。

「民宿仕事は朝が早いんでしょう?」
よく聞かれますが、親子そろってねぼすけの私たち。お客さまのほうが早起きで、朝食の準備は8時の朝食に合わせて、だいたい7時前ぐらいから始めています。

ふだんは朝が弱い私ですが、民宿の手伝いを始めると、不思議とカラダが朝方にスイッチするみたい。5時台に起きて、本を読んだり、すぐそばの大浜までお散歩をするのが日課です。

いまの季節、日の出は5時ごろ。
目覚めのいい朝は、カメラを持って舞磯浜側からあがる朝日を眺めながら、ひとときを過ごします。すでに朝の波を狙ったサーファーたちが海に浮かぶのを前景に、真っ赤な太陽が昇る景色は何度見ても心を揺さぶられます。



まだ人気ない浜を歩き、波打ち際に足を浸すとカラダが目覚めていくのがわかります。砂浜に体育座りして寄せては返す波の音を聴いているだけのときもあります。

海はいくらいても飽きません。
よしもとばななさんの小説『TSUGUMI』に、「海は自分がことさら感情移入しなくても、きちんと寄せては返す。その規則正しいリズムが自分を調える」といった内容のことが書かれていました。西伊豆に親戚の家があった、ばななさんご自身の実感なのでしょう。

よくわかります。
わたしも、子どもの頃から海が友だちでした。いやなことや悲しいことがあると、歩いて鍋田浜に行きました。日が暮れたあとは港に行ってちゃぽちゃぽと浮かぶ船の前で、ぼんやり灯台の灯りを眺めていました。
海は、わたしのちっぽけなクサクサをいつだってさっぱりと洗い流してくれました。まっすぐに広がる水平線も、人を寄せつけない荒波も、海と対話をしているうちに優しい何かに包まれたようになり、平衡感覚を取りもどすことができるのです。



子どもの頃に毎日のように眺めていた海。
いま、夏だけですが、こうして故郷の海を毎日眺められることにじんわりと喜びを感じています。

ぜひ、早起きして行ってみてください。
朝の海は、たくさんの人で賑わう昼の顔とはちがった表情で迎えてくれるはずです。